エメラルドグリーンの「洞輪沢漁港」 – 八丈島旅行(7)

洞輪沢漁港(八丈島)
洞輪沢漁港(中央の白い建物は洞輪沢温泉)

海・空・断崖、洞輪沢の絶景

4泊5日の八丈島旅行の3日目。レンタルスクーターで一日かけて島を一周ゆっくりと走った。いくつか立ち寄った中で、もっとも印象に残っているのが洞輪沢(ぼらわざわ)漁港の風景だ。

洞輪沢は八丈島の南部、末吉地区にある小さな集落。「絶景スポット」への旅は、観光ガイドや雑誌であらかじめ見たことがある光景を“実地確認”するために出かけるようなことが多い。その点、ここは偶然訪れただけにインパクトが大きかった。

八丈島をぐるっと回る「八丈一周道路」、島の南部では比較的標高の高い場所を走っている。一周道路から海に向かって下りていく道を見つけると、思わず下りたくなる衝動に何度も駆られた。ここもそんな道路の先にある場所。

洞輪沢漁港(八丈島)
洞輪沢の集落

坂を下りきるとひっそりとした集落があり、その先に小さな漁港が。スクーターを下りてコンクリートの突堤から港の全景を眺めると、高さ50メートルはありそうな断崖絶壁が迫っている。手前の港の海の色はエメラルドグリーン。

断崖を覆う緑と海と空が同系色で、日本のどこでも出会ったことがない不思議な風景だった。

この崖の上にある「名古の展望台」からは漁港全体を見下ろすことができた。自然の地形・入り江を生かした漁港であることがよくわかった。

洞輪沢漁港(八丈島)
名古の展望台から見下ろした洞輪沢漁港

ちなみに港では、2〜5月がトビウオ、8〜12月がムロアジ、そのほかカツオ、マグロ、キンメダイ、メダイなどが水揚げされるらしい。

そのほか漁港には無料で利用できる「洞輪沢温泉」があった。コロナ禍の影響で営業休止中だったが、地元・八丈島の人々には知られたスポットらしい。

Googleマップで洞輪沢漁港の場所を確認

サーフィンスポット「汐間海岸」

洞輪沢漁港からさらに南へ、八丈島の南端・小岩戸ヶ鼻方面に舗装された道路が伸びており、スクーターを走らせてみた。右手の崖の際には落石の跡、左手の海からは堤防を越えて波しぶき、少々ハラハラする道路だった。

汐間海岸(八丈島)

道路の先は行き止まりになっていた。道路そのものはまだ数百メートルほど続いているものの通行止めの柵が設けられていた。柵の前には数台の自動車がとまっていた。サーフィンを楽しむ人たちだった。地図を調べるとこのあたりは汐間海岸という。サーフィンの名所らしい。

海に目を移すと、風が強く白波が立っている。目を凝らすと沖に向かってパドリングするサーファーの姿が見えた。

汐間海岸(八丈島)
沖に向けてパドリングするサーファーたち

Googleマップで汐間海岸の場所を確認

第2次大戦末期、ここに特攻隊の訓練基地があった

名古の展望台で太平洋の海原を眺めた際、敷地内にある古風な石碑に目にとまった。

太平洋の黒潮に偲ぶ
第十六震洋特別攻撃隊 ここに在りき
安倍晋太郎謹記

と記されていた。安倍晋太郎氏は安倍晋三元首相の父親である。

名古の展望の碑(八丈島)
第十六震洋特別攻撃隊の記念碑

碑の下部にこの記念碑の詳しい説明があった。なんと、洞輪沢には第二次世界大戦末期、海軍特別攻撃隊の訓練基地があったという。

 ここ、展望台の真下、八丈町洞輪沢と石積の地は、太平洋戦争が風雲急を告げる昭和二十年三月、八丈島防衛に備え、海軍の特攻兵器震洋艇五十隻と、祖国の礎たらあんと自ら志願した部隊長吉田義彦大尉以下百八十九名の隊員が、民家に分宿し、末吉区民及び海陸軍部隊の熱烈な支援を受けながら、一艇一鑑体当りの肉弾攻撃敢行を決意し、日夜猛訓練に励み過した第十六震洋特別攻撃隊の基地跡である。
 第十六震洋特別攻撃隊は、昭和十九年九月横須賀海軍水雷学校において編成され、搭乗員五十三名は、海軍兵学校、兵科予備学生、特攻術准士官、飛行予科練習生(若干十七−十八歳)、出身の精鋭であり、整備隊員、基地隊員には歴戦のベテラン隊員百三十六名が配された部隊である。
 震洋艇とは、長さ五メートルの木製モーターバーとの艇首に二百五十瓩の炸薬を搭載し、敵艦船に高速で体当りし、搭乗員自らも爆死するという特攻兵器であり、当時の海軍はこの震洋特別攻撃隊に限りなき期待を寄せていた。
 昭和十九年十一月第十六震洋特別攻撃隊に、小笠原諸島母島への出撃命令が下り、基地準備隊員は直ちに出発したが、輸送船寿山丸は父島沖で敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、先発隊員五十七名が戦死した。
 部隊再編成のあと、こんどは硫黄島への出撃命令が下ったが、同島は敵上陸作戦中の大激戦地であり出撃中止となった。そして昭和二十年三月本土決戦最初の砦と言われた八丈島に布陣したのである。
 しかし、昭和二十年八月十五日終戦の詔勅が下り、ここに、熱い、長い、太平洋戦争が終結したのである。あれから数えて四十一年の歳月が流れた、日本はいま驚異的な経済成長を遂げ、自由と平和の民主国家として栄えている。
 赤道より、フィリッピン、台湾、日本の太平洋岸を経て、この展望台眼下を通り、アメリカにまで流れている海の中の川・黒潮、その黒潮に思いを馳せる時、かつて祖国に殉じた数多の兵士が、戦争の犠牲者が彷彿として忍ばれるのである。この碑に、当時の戦歴を刻み、戦士した友の霊を奉祭し、心から悠久の平和を祈願するものである。
 
 昭和六十一年十月
 震洋八丈会建之

ひっそりとした離島の漁港を歩いただけではうかがいしれない、島の近現代史を垣間見たひとときだった。

Googleマップで名古の展望台の場所を確認


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