Chim↑Pom『芸術実行犯』―社会に介入するアートのかたち―

 アーティスト集団・Chim↑Pom(チンポム・2012)の著書『芸術実行犯』を読んだ。現代アートをめぐる痛快なエッセイであった。読後の感想として、1960年代に活動していた前衛芸術家集団ハイレッド・センターと比較し、Chim↑Pomに見られるアーティヴィズムの思想的特性を考察する。

 なお、本稿は早稲田大学 人間科学部「現代芸術論」で提出した中間レポート課題の提出物をもとにしている。

Chim↑Pom『芸術実行犯』
Chim↑Pom『芸術実行犯

アーティヴィズムとしてのChim↑Pomの特徴

 「アーティヴィズム」という語は、英語の“Art(アート)”と“Activism(アクティヴィズム)”を組み合わせた造語であり、さまざまな社会問題の解決のために働きかけるアート活動を意味する。東京MXテレビの解説では、「アーティビズムとは、反戦や気候変動、人種差別などの社会問題を、アートを使って働きかける活動のことで、それを行う人のことを“アーティビスト”と言い、最も有名かつ注目されている人物としてはバンクシーがいます」と述べられている(東京MXテレビ「堀潤モーニングFLAG」)。この定義は、Chim↑Pomの活動そのものといえる。

 Chim↑Pomは、2000年代以降の日本において異彩を放つアーティスト集団であり、その活動の中心には常にアーティヴィズムの精神が脈打っている。『芸術実行犯』(2012)における彼らの言葉や行動には、アートを単なる表現手段ではなく、社会や現実に対する応答、あるいは行動として捉える明確な姿勢を見ることができる。

 特に印象的なものは、福島第一原発事故後の《REAL TIMES》(2011年)に代表される作品群である。彼らは単に放射能問題を告発するのではなく、そこにある"見えなさ"――すなわち「本当にヤバいものは目に見えない。それを見るために必要なのは、まさに想像力だと思いました」(p.14)という認識を出発点に、可視化できない不安や危機を、身体を張った行為によって社会に刻印していく。

 彼らのアートは、制度化された美術館に留まらず、ストリートや廃墟、被災地といった公共性や社会性が問われる場所で展開される。そのため、彼らにとって「社会性や公共性はいつかブチ当たるテーマ」(p.15)であり続ける。アートを目的ではなく方法とし、「街の風景やインターネットの環境を『遊び場』にして、一般の人にも広く開かれた世界の中で『作品』を響かせている」(p.144)世界各地のアーティヴィズムへの共感の意志を表明している。

ハイレッド・センターとの類似と相違

 Chim↑Pomの思想や手法は、1960年代の日本を代表する前衛芸術グループであるハイレッド・センター(赤瀬川原平、高松次郎、中西夏之)との比較によって、より明確に浮かび上がる。両者には共通して、制度批判や日常のかく乱を通じてアートの定義を問い直す姿勢がある。

 たとえば、ハイレッド・センターの清掃活動《首都圏清掃整理促進運動》(1964年)に見られるように、既存の制度や都市空間に介入するパフォーマンスは、現実の枠組みをズラし、観る人の思考を刺激する点で、Chim↑Pomの作品と共通する。赤瀬川原平もまた、ハイレッド・センターの活動について「芸術のスタイルを破ってその中に入る、その表面を抜きにして直接秘密に手を触れようとする、ナマの芸術、というかモロの芸術」と述べており(赤瀬川 1984)、形式化されたアートの枠の外で、生活と地続きの表現を志向する姿勢は、Chim↑Pomに通じるものがある。両者とも、アートを"展示"するのではなく、社会的文脈に"出現"させることで、観る人の現実認識を更新しようとする。

 しかし、Chim↑Pomのアーティヴィズムが20世紀的アヴァンギャルドとは異なるのは、社会との距離感とポピュラリティへの意識である。ハイレッド・センターが制度批判を通じて非日常的なかく乱を志向していたのに対し、Chim↑Pomは、「社会の許容範囲ギリギリで遊ぶような」(p.100)スタイルを好み、観る人の共感やメディアの注目を前提とした戦略的な表現を行っている。これは、「アーティヴィズムとポップ・アートは一見対立しているように見えながら、『ポピュラリティ』という目的において大きな共通点がある」(p.131)という彼ら自身の認識とも一致する。

志の連鎖としてのアート─「答え」ではなく「応え」

 Chim↑Pomのアーティヴィズムを語る上で、彼らが一貫して「正しさ」を疑おうとする姿勢も見逃せない。「正しさ」は時として異論を封じ、プロパガンダの道具となる。彼らは「正しさ」の代わりに、問いに「応える」という姿勢を選ぶ。「『答え』が間違っていても、それでも『応える』という馬鹿な一歩にこそ」(p.160)アートの誠意が宿るとするその思想は、アートにおける倫理の新たな方向性を示している。

 この姿勢は、現代日本におけるアートの存在意義を再考させる。すなわち、「志の連鎖が起きていくかどうか」(p.150)を重視し、アートが個の表現を超えて、社会的な媒介となる可能性こそを重視する態度である。それは、制度や市場に取り込まれない"実行としてのアート"であり、Chim↑Pomが『芸術実行犯』として名乗るゆえんといえよう。

 アートを社会変革の手段とみるだけでなく、失敗や愚かさをも引き受けるその姿勢は、「責任」の再定義に通じる。現代日本で、多くのクレームや制約の中で萎縮するアートの現状に対し、「本当に責任を取る」とは何かを問い直す姿勢ともなっている(p.161)。

 このようにして、Chim↑Pomのアーティヴィズムは、1960年代の前衛精神を受け継ぎつつ、よりポピュラリティと公共性を意識した21世紀型の社会的実践へと昇華している。『芸術実行犯』はその実践の思想的核心を伝えるものとして、アートと社会の関係を考える上で極めて示唆に富む書籍である。

※本文では表記の統一を図るため、「芸術」という語を、書名・引用・固有名詞などを除き、原則として「アート」に統一して記述した。


参考文献

本と文化アート

Posted by Asanao