黒田賢治『イラン現代史』―体制・思想・社会が交錯するイランをどう読むか
今学期、文化構想学部の科目「アジア社会とイスラーム」を履修している。イランの歴史と文化を、イスラム教とペルシア語文化の展開に注目しつつ概観し、アジア史・中東史の文脈に位置付けて把握することを目指す科目である。
この授業は近年のイラン情勢の解説から始まり、初回の講義で示された参考書がこの新書・黒田賢治著『イラン現代史-イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで』だった。
西洋近代とイスラムはどのように「翻訳」されたのか
本書の出発点は、イランにおける近代化が単なる西洋化ではなかったという認識にある。パフラヴィー朝のもとで進められた急進的な西洋化政策は、経済格差や文化的断絶を生み出し、その反動としてイスラムが対抗的価値として再び見出された。
一九六〇年代以降、極端な西洋化政策が推進された。しかし、経済的格差の拡大など矛盾が深まるなか、国王が掲げる西洋的近代に対し、イスラームが対抗的な価値として再発見された。(序章:近代国家建設と東西冷戦構造より)
ここで重要なのは、イスラムが単なる伝統回帰ではなく、新たな思想の媒体として機能した点である。とりわけ左翼思想がイスラームの語彙を通じて大衆化したという指摘は示唆的である。複雑な理論は宗教的言語へと翻訳され、社会の中に浸透していった。すなわち、イラン革命は西洋近代とイスラムの対立としてではなく、両者が交差し再構成される過程として理解されるべきである。この視点は、現代イランの出発点を考えるうえで不可欠である。
体制を揺るがしたのは誰か―市民社会の見えない力
本書の第二の軸は、革命を生み出した社会の側の動きにある。イランでは一九世紀末以来、抗議運動の蓄積が存在しており、それが徐々に市民の政治意識を形成してきた。さらに二〇世紀後半には、小規模な社交サークルの広がりが、人々の間に新たな結びつきを生み出した。
モサッデグ政権の崩壊後、政治団体や政治活動への国家の取り締まりが強まると、信頼できる人同士の小さな社交の場が重要な役割を担うようになった。(中略)複数のサークルを横断し、会合で参加者相互の意思疎通が図られ、政治的な面で徐々に組織化が図られた。(序章:近代国家建設と東西冷戦構造より)
こうしたネットワークは一見すると非政治的であるが、結果として社会的連結を強め、体制に対する潜在的な圧力を形成していく。興味深いのは、革命直前においてさえ体制は外部からは安定しているように見えていた点である。しかし実際には、可視化されにくい市民の動きが臨界点に達し、体制を揺るがした。本書は、歴史を動かす主体が国家だけではなく、社会の中に分散していることを明確に示している。
統治と信仰のズレはなぜ許容されるのか
革命後に成立したイスラム共和国は、宗教と政治が結びついた独自の体制である。選挙による競争を一定程度認めながらも、最高指導者が統制する構造は「権威主義体制」として特徴づけられる。しかし、この体制は一枚岩ではない。
ハーメネイー指導体制の発足後、宗教界を巻き込んだ党派対立が政治でも顕在化していった。(中略)言い換えれば、イスラーム共和体制は、理念的には国家のあらゆる側面がイスラーム的であるという前提を作り上げつつ、個人にイスラームをめぐる多元的解釈が可能な状況をもたらした。(第3章:ハーメネイー体制と政治的自由)
ここに見られるのは、制度としてのイスラムと、個人の信仰としてのイスラムのあいだに生じるズレである。本書が提示する「ポスト・イスラーム主義」という概念は、この状況を理解する鍵となる。すなわち、政治的理念としてのイスラムが揺らぐ一方で、個人の信仰はむしろ多様化しながら存続している。若者文化や宗教儀礼の変容に見られるように、社会は体制の意図とは異なるかたちで宗教を引き受けている。このズレこそが、体制の不安定さであると同時に持続の条件でもある。
本書を通じて浮かび上がるのは、イランという国家が単純な二項対立では捉えられない存在であるという事実である。西洋かイスラムか、独裁か民主か、といった枠組みでは説明しきれない複雑さがある。むしろ、異なる要素がせめぎ合いながら共存し、その均衡の上に体制が成り立っている。
イランを理解することは、現代世界における国家と社会の関係を考えることでもある。本書は、その構造を見通すための優れた導入書である。
書名/イラン現代史-イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで(中公新書)
著者/黒田賢治
出版社/中央公論新社
発行/2025年11月20日












