高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』を読む—反米感情、ペルシア文明、革命を動かした情報の力

 今学期、文化構想学部の科目「アジア社会とイスラーム」を履修しており、前回書評を書いた黒田賢治『イラン現代史』と共に、参考文献として挙げられていたのが、高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル 「ガザ以後」の中東』である。

 前著が1953年の政変から1979年のイラン革命へと至る近現代史を軸に、「なぜイランはアメリカを信じないのか」という問いに迫ったのに対し、本書は、その時間軸を古代ペルシアまで大きく引き延ばし、文明史、宗教史、情報史という複数の視点から「ガザ以後」の中東を読み解いている。本書を読みながら、特に印象に残ったのは、イランという国家の奥にある三つの層——歴史の記憶、文明の持続力、そして革命を支える情報と制度——だった。

イラン人はなぜアメリカを信じないのか—1953年が残した集団記憶

 前回の書評でも中心に据えたのが、1953年のイラン・クーデターである。石油国有化を進めたモハンマド・モサッデク政権は、CIAとイギリス情報機関の工作によって打倒された。この出来事が、単なる歴史的事件ではなく、現在まで続く対米不信の起点になっていることは前著でも描かれていた。

 本書でより印象的だったのは、その記憶が個人ではなく国家の集団記憶として継承されている、という点である。著者は次のように記している。

民主主義国家のアメリカとイギリスが共謀してアメリカ大使館を拠点とし、他国の内政に干渉し、合法的かつ民主的に選ばれた正統な政権を倒した──そうした重い事実がイラン人の集団的な記憶に残った。

 この一文を読んで、1979年のアメリカ大使館人質事件もまた、突発的な暴走ではなく、1953年の記憶を背景とした出来事だったことが腑に落ちた。国家もまた、人間と同じように、過去の経験を忘れず、その記憶を外交や政治の判断に持ち込むのである。

征服されても消えない文明—ペルシアという文化の持続力

 本書で最も新鮮だったのは、イランを「国家」ではなく「文明」として捉える視点だった。アレクサンドロス大王の征服、アラブ人によるイスラム化、モンゴルの侵入——ペルシアは何度も外部勢力に支配されてきた。しかし、そのたびに文化そのものが消えるのではなく、むしろ相手を取り込みながら、新しい文明を形成してきた。

 その本質を象徴する一節として、著者はこう述べている。

イラン人をイラン人たらしめている要素の一つは、すでに強調してきた歴史意識である。自分たちは、偉大な帝国の継承者であるとの認識である。そうして、もう一つの感情が、異民族の侵略を受け続けてきたとの被害者意識である。

 この「帝国の継承者」という誇りと、「侵略され続けた」という被害者意識。この相反する二つが同時に存在しているところに、現代イランの複雑さがあるのだろう。前章で見た対米不信も、単なる外交感情ではなく、こうした長い文明史の上に積み重なったものとして理解すべきなのだと感じた。

革命を動かしたのは宗教か、メディアか—制度としての情報と信仰

 本書でもう一つ印象に残ったのは、1979年の革命を宗教革命であると同時に、情報革命として描いていた点である。

 亡命先のフランスにいたルーホッラー・ホメイニーの演説は、国際電話を通じてイランに届き、それがカセットテープに録音され、全国に複製されていった。著者の記述は非常に具体的だ。

ホメイニの激しいシャー批判は、国際電話を通じてイランに届いた。そしてカセット・テープに録音され複製されイラン全土に配布された。カセット・テープの革命運動だった。

 この一節を読んで、革命を支えていたのは、宗教指導者のカリスマだけではなかったことがわかった。バザール商人による資金基盤、宗教界の独立した教育制度、そして情報を拡散するメディアの存在。それらが結びついて初めて、革命は現実のものになったのである。

 紙、電話、録音媒体、そして現在のSNSへ。情報の伝達技術は変わっても、情報が政治を動かすという構図そのものは、半世紀前から変わっていないのかもしれない。

高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』

書名/イランとアメリカ、そしてイスラエル 「ガザ以後」の中東(朝日新書)
著者/高橋和夫
出版社/朝日新聞出版
発行/2026年3月13日

本と文化イラン,中東

Posted by Asanao