感想/古川真人の芥川賞小説『背高泡立草』

古川真人『背高泡立草』

2020年、第162回芥川賞受賞作『背高泡立草』。Amazonのレビューを見ると今ひとつ評価が高くなかったので、あまり期待していなかったが、読み進むにつれて作品の世界に入り込んだ。こと文芸に関して、Amazonレビューは参考にならないと改めて思う。

まず、出版元の紹介を。

草は刈らねばならない。そこに埋もれているのは、納屋だけではないから。
記憶と歴史が結びついた、著者新境地。

大村奈美は、母の実家・吉川家の納屋の草刈りをするために、母、伯母、従姉妹とともに福岡から長崎の島に向かう。吉川家には<古か家>と<新しい方の家>があるが、祖母が亡くなり、いずれも空き家になっていた。奈美は二つの家に関して、伯父や祖母の姉に話を聞く。吉川家は<新しい方の家>が建っている場所で戦前は酒屋をしていたが、戦中に統制が厳しくなって廃業し、満州に行く同じ集落の者から家を買って移り住んだという。それが<古か家>だった。島にはいつの時代も、海の向こうに出ていく者や、海からやってくる者があった。江戸時代には捕鯨が盛んで蝦夷でも漁をした者がおり、戦後には故郷の朝鮮に帰ろうとして船が難破し島の漁師に救助された人々がいた。時代が下って、カヌーに乗って鹿児島からやってきたという少年が現れたこともあった。草に埋もれた納屋を見ながら奈美は、吉川の者たちと二つの家に流れた時間、これから流れるだろう時間を思うのだった。

新潮社 書籍紹介ページより

物語は長崎県平戸の島を舞台に、現代と過去、時間を超えてオムニバス形式で進む。現代と過去、相互の物語に直接のつながりはないが、家・モノを象徴的に示すことによって、2つは細い糸で結ばれている。

現代に生きる主人公と家族は、一族の出身地である島を離れた福岡で暮らしている。人を吸い込む都会と流出する地方、この関係は日本において普遍的だ。首都圏なら甲信越と東京、関西圏なら岡山県・徳島県と京阪神、居住地を移しても共感できる読者は多いはず。私も読書中、子供の頃、母方の出身地である岡山県美作地方と大阪を、お墓の掃除で行き来した記憶が蘇った。

方言による会話が多くを占めるので、若干、読みづらい点もある。だが、自身の出身地の方言に変換すると味わい深くなる。

過去の物語は、自分自身に置き換えて振り返ると、子供の頃、親戚の老人から聞いた第二次大戦前の話、戦中に少年時代を経験した父親の話、自身の中学生時代の記憶などがモノクロームの映像として浮かび上がり、郷愁を駆り立てた。

田舎の実家に帰省した時の風・空気・においの表現がリアル。ディテールの描き方は宮崎駿、新海誠のアニメーションを彷彿とさせる。


芥川賞受賞作 読書リスト:私が読んだ作品を五つ星で評価しています。


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