身延山登山、奥の院思親閣と山中の僧坊巡り

身延山
久遠寺本堂前から見た身延山。山中に僧坊・堂宇が点在

1泊2日の身延山への旅行。2日目は朝8時から半日かけて、身延山の山頂にある奥の院と山中に点在する僧坊を巡った。信仰の山ならでは、記憶に残る堂宇と僧坊をいくつか記録しておく。

なお、この日の登山記録はヤマレコで公開。

快晴の身延山・霊峰一周の巡礼登山(ヤマレコ)

格調高い姿を持つ「久遠寺・本地堂」

朝8時40分、久遠寺三門横の駐車場に車を駐めてトレッキング開始。久遠寺本堂の裏にある登山口から、歩いて数分で目に入るのが本地堂(ほんじどう)。小さいながらも均整が取れた格調高い外観で、スタートしたばかりなのに足を止めて見入ってしまった。

江戸時代後期の建築。4枚の屋根が三角形をした宝形造。

身延山・久遠寺本地堂
身延山・久遠寺本地堂

趣あるたたずまい「丈六堂」

丈六堂(じょうろくどう)とは「一丈六尺の仏像を安置しているお堂」という意味。石段の下から見上げたたたずまいが趣あり。ガラス越しにお堂の中をのぞくと、丈六の釈尊像と千体仏が安置されているのが分かる。江戸前期の建築。

身延山丈六堂
身延山・丈六堂

身延山奥の院への中間地点「大光坊」

本堂から奥の院に向かうと、ちょうど中間地点にあるのが大光坊(だいこうぼう)。身延山中では比較的大きな僧坊だった。

日蓮宗の高僧・日奠上人が江戸時代の初め、身延山全山を大曼荼羅の様相に従って整備をした際、祖師堂の裏手にあった三光堂の別当所、大光庵をこの地に移し、開祖となったのが契機。その後、1870年に大光坊と改称された。

境内には、甲府徳川家の徳川重郷が子孫繁栄の祈願して建立した三光堂のほか、日蓮聖人の自作と伝わる大黒天を祀る大黒堂、1677年に造立された金色の釈尊像などがある。

比較的大きな休憩所があり、多くのハイカーがここで一休みしていた。なお、久遠寺本堂からここまでは舗装路、ここから奥の院までは未舗装路。

身延山大光坊・三光堂
大光坊の三光堂
身延山大光坊・釈尊像
日の光に輝く釈尊象

山頂間近にある「法明坊」「上の山東照宮」

身延山の山頂まで全五十丁ある丁標でいうと四十丁の場所にある僧坊・法明坊。日蓮聖人の喉の渇きをうるおそうと、弟子である日朗上人が水を汲んだと伝わる井戸「お水屋」がある。林の中にあり、いかにも僧坊という雰囲気。山頂までもうひと息。ベンチがあるので、ここで登りの最後の休憩を取った。

身延山法明坊とお水屋
法明坊と。右がお水屋

法明坊を出発して数分上ると、目の前に覆屋に保護された立派な社殿が現れる。上の山東照宮。徳川家康の死後、側室であったお万の方が、身延山で法要を営んだ際に建立された。社殿の精巧な彫刻が見どころ。

身延山上の山東照宮
上の山東照宮

山の上東照宮から奥の院へは、杉林の中のゆるやかな傾斜を進んでいく。このあたりから左手に冠雪の富士山と真下に流れる富士川が望むことができる。山頂・展望台から眺めもよいが、杉林の向こうに垂直に広がる風景が素晴らしかった。

身延山・富士山と富士川
上に冠雪の富士山、真下に富士川

富士山・北岳を望む「奥の院思親閣」「山頂展望台」

朝8時40分に久遠寺の三門を出発して、11時10分に身延山山頂(標高1,153m)にある奥の院思親閣に到着。本殿からここまでの参道(山道)はハイカーばかりだったが、山頂付近はロープウェイ利用の観光客・参拝者が加わり、にぎやかな雰囲気に。

奥の院思親閣は、日蓮聖人が故郷・安房国小湊(千葉県鴨川市)の両親と恩師・善房を追慕し、回向した場所に建つ。“親を思うお堂”祖師堂のほか、仁王門、鐘楼、常護堂と立派な堂宇が並ぶ。

仁王門手前には日蓮自身が植えたと伝わる杉の木4本があり、ここから見る富士山はとても絵になる。

身延山・奥の院思親閣仁王門
奥の院思親閣の仁王門、奥が祖師堂
身延山・奥の院思親閣から見た富士山
身延山・奥の院思親閣から見た富士山

奥の院思親閣の北側と南側には展望台がある。南側展望台からは冠雪の富士山と富士川のとうとうとした流れが、北側展望台からは荒川三山・鳳凰三山・白峰三山など南アルプスの山々や八ヶ岳連峰が眺望できる。日本の最高峰・富士山と、二番目の北岳(3,192m)を一度に眺めることができるのが身延山トレッキングの魅力。

身延山・山頂北側展望台
山頂北側展望台。奥は冠雪の南アルプスの山並み

身延山ロープウェイ奥の院駅にある「山頂展望食堂 身延庵」で昼食を取り、正午には下山開始。

七面山への分岐点「追分感井坊」

身延山の山頂から尾根沿いに七面山方面へ。2km弱下りたところにある僧坊が追分感井坊(かんせいぼう)。

追分は「分岐点」の意味を持つ。ここから西に進むと七面山、南東に下りると日蓮聖人の御廟所にいたる。

感井坊、外から見ると僧坊というよりも山小屋のような雰囲気。扉を開けて中に足を踏み入れると、立派な仏間と奥には居間のような空間が広がる。式台にはお茶の葉が置かれており、参拝者にセルフサービスでふるまわれていた。

感井坊は1688年(元禄元年)日脱上人によりに開創。ロープウェイや舗装路が整備されていなかった時代は、七面山へ向かう参拝者と奥の院への参拝者でにぎわったであろう面影を残していた。

身延山・追分感井坊
奥が僧坊。右手前は帝釈天を祀る帝釈天堂
身延山・追分感井坊
感井坊の仏間

追分感井坊からは本格的な下山となる。途中、千本杉と呼ばれる美しい杉林を抜ける。杉の本数は約260本、樹齢は250年以上。久遠寺の堂宇の建築・改修用に大切に育てられた杉の木らしい。

身延山・千本杉
千本杉の林の中を通過

天空の僧坊「松樹庵」

身延山山頂から標高差600mほど下山した標高500mにある僧坊が松樹庵(しょうじゅあん)。1704年(宝永元年)に開創。日蓮聖人が奥之院への参詣途中、松の木に袈裟を掛けたと伝えられる場所にある。

追分感井坊から松樹庵まで2.5kmほどは休憩スポットがないので、お堂の前で腰を下ろすハイカーがちらほら。私も5分ほど休憩し、スポーツドリンクで喉を潤した。

松樹庵から久遠寺境内と門前町を見下ろすことができるため、「天空の寺」とも呼ばれている。

身延山・松樹庵
松樹庵。多くのハイカーがここでひと息入れていた
身延山・松樹庵からの眺め
松樹庵からの眺め。左は久遠寺本堂。右は門前町

日蓮が身延山で最初に説法を行った地「妙石坊」

身延山の山中を下山した場所にある僧坊が妙石坊(みょうせきぼう)。下山ポイントというよりも、七面山への信仰登山の出発点として知られる。今回は赤い祖師堂の裏手に下りてきた。

日蓮聖人が最初に説法を行った地といわれ、その際、使用した「高座石」がある。この石に座って布教をしている時に、七面大明神が龍の姿で現れ、七面山方面に飛び去った伝説あり。妙石坊は宿坊になっていて、宿泊も可能。

ここから久遠寺の三門までは自動車が走る舗装路を歩く。

身延山・妙石坊祖師堂
祖師堂。向かって右手に登山路あり
身延山・妙石坊高座石
日蓮聖人が説法を行った「高座石」

最後に参拝、日蓮の「御廟所」

スタート地点の久遠寺三門に帰る前に、日蓮聖人の墓「御廟所」に立ち寄った。御廟所は、何となく親しみやすさ、立ち寄りやすさがある久遠寺本堂や山中の僧坊と違って、厳粛な雰囲気。

御廟所の周辺、参道はきれいに掃き清められていた。寺院よりも神社に近い凛とした空気を感じた。

身延山・日蓮聖人御廟所
御廟所・拝殿
身延山・日蓮聖人御廟所
拝殿から祖廟塔(お墓)を望む

なお、拝殿のすぐ近くには、日蓮聖人が9年間を過ごした草庵の跡がある。生前、ここで法華経の読誦、弟子の教育を行った。遺言に従い、草庵跡に墓地が建てられた。

身延山・御草庵跡
御草庵跡

14時10分に出発地点・三門にゴール。休憩時間を入れて5時間半のトレッキングだった。

ヤマレコの記録を見ると歩行距離12.6km、登り971m、下り965m。道標・丁標が多数あり、道幅も広く歩きやすいトレッキングだった。

身延山・久遠寺三門
ゴール地点・久遠寺三門の裏側

ヤマレコの登山記録


2023年春 甲府・身延山旅行の記録
【1】山梨県立美術館でミレー『種まく人』をじっくり。見どころを解説
【2】前方後円墳に上る! 甲府・銚子塚古墳と曽根丘陵公園
【3】山梨県立考古博物館は、愛嬌ある土偶の顔が見どころ
【4】身延山久遠寺、西日が照らす五重塔と晩鐘の響き
【6】身延山の宿坊、700年の歴史を持つ「山本坊」宿泊体験
【7】身延山登山、奥の院思親閣と山中の僧坊巡り
【8】身延山久遠寺の総門を車でくぐる


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