集落・遺跡・ツバキ畑、島の北部を散歩 – 利島旅行(4)

子供と慰霊碑、猫に足を止めた利島の集落

利島の訪問目的は宮塚山登山。2日目の朝8時半に出発して昼13時前には集落に下山したので、2日目午後と3日目の午前は、島の北部をゆるく散歩した。

利島には平坦な土地がほとんどない。島の北側だけ若干緩やかな斜面になっている。この斜面に役場・商店・民宿・農協等が肩を寄せ合っている。「緩やかな斜面」といっても、都内の一般的な坂道に比べるとかなりの勾配がある。その代わり、坂を上り下りする際、どこからも海が見えるのが海なし県民(埼玉県民)にはうらやましい。

利島の集落
集落内は急な坂道が多い

離島というと過疎と高齢化が進んでいるイメージがあるが、こと利島に関してはあたらない。集落を歩いていると、子供同士で遊んでいる姿をしばしば見た。小中学校の校庭も、休日にも関わらずサッカーの練習をする姿が見られた。民宿の若女将に尋ねたところ、最近、家族で利島に移住する人が増えているそうだ。利島村の公式サイトを見ると、年少人口の割合は全国平均より高いそうだ。

利島村立小中学校
利島村立小中学校。映画やドラマの舞台になりそうなロケーション

「島に移住」という言葉は惹かれるものがあるが、島出身者でない限り、実際にはハードルが高そうだ。以下、利島村の公式サイトと宿の若女将から聞いた移住のポイントをいくつか。

  • 利島村には民間の不動産屋がない。基本的に村営住宅に入居することになる。村営住宅は利島村に住所があることが要件となっているので、島外から移住する場合は島内の事業所等に就職が決まっている必要がある。
  • 利島村には引っ越し業者がいない。そのため、単身者の場合はヤマト運輸を利用して荷物を送ることが一般的。大型家電は購入店によって配送ができない場合がある。
  • 集落内に商店が4店舗あり、食料品、日用雑貨品などを購入可能。ただ、どのお店も大きくないので、都会のように豊富な品揃えではない。インターネット通販も、離島への特別運送料が必要な場合や、そもそも離島対応していない通販業者もある。
  • 島内にはdocomo、softbank、auの3社のアンテナが設置されている。ただ、集落を大きく外れた場所では、電波状況が悪い場合がある。
  • 利島村には病院はなく、診療所が1軒のみ。医者1名、看護師2名体制。時間外診療や休日診療は村役場を通じて対応可能。
ガソリンスタンド(利島)
島唯一のガソリンスタンド。島に1軒という業種や施設が多い

300人という少ない人口の割に、島内に神社と祠は多い印象を持った。神社は7つある。一方、お寺は永正年間(1505年)に建立された長久寺のみ。日蓮宗下田本覚寺の末寺。島の葬儀の一切を担っているのだろうか。

境内には戦没者の慰霊碑があり、第二次大戦時、出征された島の若者11人の名前と亡くなった場所について記されていた。のどかな島で垣間見た戦争の影だった。

長久寺(利島)
長久寺の境内

あと、集落内ではしばしば猫を見かけた。屋根の上を悠々と歩いたり、道の端で寝そべっていた。都心の家猫の多くは今や家から出ることが少なくなったが「かつて昭和の猫は、屋根や塀の上を歩いていたものだ」と、ふと思い出した。

利島の猫
坂道の脇にたたずむ猫

縄文・古墳時代の複合遺跡「大石山遺跡」へ

大学時代は日本史専攻だったので、遺跡があるとどうしても出かけてしまう。集落の西、ヘリポート近くにある大石山遺跡に足を延ばした。縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡で、島しょ地域の遺跡としては規模が大きく、3万平方メートルの面積を持つ。

遺跡は「大石山・遺跡の丘」公園として整備され、2021年夏にオープン。ベンチのほか、発掘された(と思われる)黒曜石が手に取れるようになっていた。

大石山・遺跡の丘(利島)
大石山・遺跡の丘

遺跡のそばに詳しい案内板があった。要約は以下。

昭和33年(1958)。地面を掘り下げたて竪穴建物に石敷された縄文時代後期諸島の敷石建物跡の遺構が確認され、当時、大いに注目を集めました。昭和58年(1983)の調査では、張出し部を有する柄鏡形(えかがみがた)の敷石建物であることが確認され、この敷石建物の下部には、重複するかたちで縄文時代中期後半の竪穴建物跡が確認されました。
(中略)
これらは、「漂流による仮泊地」としての利島ではなく、ある程度定着性をもった縄文人の生活の様子をあらわしていると考えられます。
(中略)
出土した土器や石器などから見ても利島は孤立した離島ではなく、縄文文化という流れのなかで、本土や他の島々と密接な関わりをもち、互いに交流していたことがわかります。

大石山・遺跡の丘 案内板より要約

公園のベンチに座ると、遺跡の向こうに伊豆半島が見えた。かつてこの海を行き来した縄文人に想いを馳せた。

島北西部の美しいツバキ畑をウォーキング

利島は古来、水不足に悩まされてきた。稲作や畑作に不向きな環境のため、江戸時代は米で年貢を納めることができず、ツバキ栽培による椿油が生産されるようになったといわれる。島全体で20万本のヤブツバキの木があるらしい。日本有数の椿油の産地だ。利島の椿油については、JA利島の利島椿油公式サイトに詳しい解説あり。

ツバキ畑(利島)
広大なツバキ畑は、対岸の伊豆大島とも違った独特の風景

とにかく島全体がヤブツバキに覆われているが、中でも島北西部のツバキ畑がよく整備されていた。山の斜面を段々畑のように平たく階段状にして、その平地に間隔を空けてヤブツバキの木が植えられている。

花のピークは過ぎていたが、ツバキは開花期間が長く、ツボミが膨らみ始めたものもあった。

ツバキ畑(利島)
12月から2月は島中でツバキが開花

利島村役場発行の無料観光地図「としまずかん」には、島北西部のツバキ畑の中を歩く「利島しあわせコース」(距離約4キロ・所要約60分)の説明あり。利島滞在2日目の朝、このウォーキングコースを歩いた。宮塚山の登山道と違って舗装された農道を歩くので、スニーカーでも歩くことができる。

今度はぜひ開花のシーズンにこのコースを歩いてみたい。

2023年春 利島旅行の記録
【1】東海汽船「さるびあ丸」の船旅レポート
【2】利島・宮塚山「山廻り」巡礼登山
【3】民宿「かおり荘」が素敵だった
【4】集落・遺跡・ツバキ畑、島の北部を散歩


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