感想/山下澄人の芥川賞小説『しんせかい』

芥川賞を受賞した小説を読み始めて、ちょうど50作目。2020年4月に文庫本が電子書籍化されたので、山下澄人氏の『しんせかい』を買った。第156回、2016年下半期の受賞作だ。

以下、あらすじ。

高倉健やブルース・リーに憧れる、役者志望の主人公スミトは、二年間自給自足的な生活をしながらシナリオ作法や演技を学ぶ演劇塾【谷】を主宰した脚本家【先生】がシナリオを書いたテレビドラマの主題歌を、道中のカーステレオで聴いても何の曲か思い出せないことを、乗り合わせた同期生たちに驚かれる。

スミトは農作業中に倒れたり【先生】に誉められたり叱られたりしながら、【谷】での生活を郷里にいる「天」という名の女友達に手紙で知らせる。天には恋人ができ結婚し妊娠する。

同期の「マーコさん」が退塾する。残されたスミトや塾生たちは、年末年始のさまざまな余興やプレゼントの制作に追われながらも、農作業と受講の日々を過ごしてゆく。スミトは、同齢の「けいこ」と一緒に地元の成人式に参加した後に、【谷】でも成人式で迎えられる。ある夜スミトは、【谷】に皆で建てたはずの建物が消え、無いはずの建物が在る、という光景を夢に見る。夢に出てきた黒い服の男は「俺はお前だ」と言った。

卒業した前期生と別れたスミトたちは、彼らが生活していた棟に移る。「ベンさん」という従順なタイプの塾生が個室に住むことを頑固に主張して金で個室を譲ってもらおうとしたことに、スミトは驚き、戸惑う。

次期生が訪れる前の月夜、スミトの同期生たち全員が誰からともなく自然に勢ぞろいして、卒業式で涙を見せなかった職員たちの本心や【谷】の行く末について語り合う。スミトは、もう一年【谷】で暮らし、そこを出る。

Wikipedia「しんせかい」より

関西弁で声に出して読んでこそ

まず、この小説は関西弁で読んだ。山下氏は神戸出身、私は大阪出身。関西弁で声に出して読んでこそ、モノローグが体に染み渡る。作品全体は標準語で書かれているが、イントネーションを関西弁にするだけで、この小説がずっと味わい深くなる。

関西弁は擬音語、擬態語を(めちゃ)よく使う。例えば、下の箇所を標準語で読むと小学生の作文のようになってしまう。

ふわふわとときどき降っていた雪がある日ごっそり降ってひざぐらいまで積もった。雪とひとことでいうけど雪には様々な様子があることをここではじめて知った。小さな固い粒のような、ほとんど直線で降って来るものもあれば、大きく湿ってぼたぼたと落ちるように降って来るもの、水気のないかすかな風に揺られながら、ときには下から上へ舞い戻されながら降って来るもの、そしてわっさわっさと積もるために降って来るもの、それらがその姿を見る見る変えていった。

山下澄人『しんせかい』より

「ふわふわと」「ごっそり」「わっさわっさと」のニュアンスを、ぜひ関西弁で味わってください。

不明瞭な記憶に誠実に向き合う

記憶は本来あいまいなものだ。記憶を文字にして、あるいは声に出して他者に伝えようとする際、あいまいな情報は伝えやすいように編集・構成されて、パッケージ化される。うまくパッケージ化されていないと「何を言いたいのか、よくわからない」と判断される。

その点、山下氏が『しんせかい』で採っている手法は、あいまいな記憶を、できるだけあいまいなまま誠実に伝えようとしている点にある。著者はあとがきで下のように述べている。

 わたしは小説を書くのだ、
忘れてしまった記憶を書くのだ、思い出せぬままそれを書くのだ、
 そうしてこれを書いた

山下澄人『しんせかい』あとがきより

著者がこの小説で表現したかったものは、パッケージ化された意志・意味ではなく、誰もが日常持つ「あいまいな心(=自己)の内面」だ。作品の中で、主人公の目線はあっちこっちに飛び、今、見ているもの、先ほど見ていたものをしばしば行きつ戻りつする。まるで夢を見ているように。

ところが、読み進めるうちに、日常生活において、私たち自身の意識も、実は数分ごとにあっちこっちに飛び、行きつ戻りつしていることに気がつき、ハッとする。

前書き的短編『率直に言って〜」がよかった

しかしながら、「あいまいな記憶」を確認する“心理テスト”としての効用は認めるものの、小説として面白かったか?というと肯定できない自分がいる。

19歳の男子が北海道の演劇塾で1年間を過ごした青春小説であり、ごく普通の若者が持つ「ぬるさ」「ゆるさ」はリアリティを感じる。ただ、共同生活に欠かせない生々しい葛藤や愛憎があったはずなのに、あまりにも淡白に描かれている点は共感できなかった。著者の体験に基づいているために、実際の人間関係を忖度せざるをえなかったのかもしれないが。

なので、芥川賞受賞作にふさわしいか?というと疑問をぬぐえず、五つ星評価で★1つにならざるをえない。

一方、文庫本に一緒に収められている短編『率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか』の方が、はるかに読み物として楽しめた。

この短編は『しんせかい』の前書き的作品で、東京で行われる演劇塾の入塾試験前日、新宿で過ごした一夜を描いたもの。主人公の目線があっちこっちに飛び、行きつ戻りつする点では同じもの、「一夜の夢の記憶」を数時間の映像で見たような読後感があった。

解説に、朝吹真理子氏が印象に残る言葉を残しているので記しておく。

きのうの記憶、三年前の記憶、中学生の記憶、子供のころの記憶、と、ミルフィーユみたいに積層になっているわけではない。いつも記憶は雪崩をおこしている気がする。整合性とか、時間軸に沿って、なんとか、それを理解しようとしている。

山下澄人『しんせかい』解説より

芥川賞受賞作 読書リスト:私が読んだ作品を五つ星で評価しています。