戦争はなぜ「続いてしまう」のか―小泉悠『現代戦争論』

 軍事評論家として広く知られ、現在、ロシア情勢の分析で第一線に立つ小泉悠による最新作『現代戦争論―ロシア・ウクライナから考える世界の行方』(2026)は、長期化するウクライナ戦争を展望し、21世紀の戦争のあり方を捉え直した一冊である。開戦から4年が経過し、終結の見通しが立たない今、本書は「なぜ戦争は終わらないのか」「どのように持続しているのか」という問題に迫る。

 戦場の動向にとどまらず、国家の制度、経済、国際関係、そして日本の安全保障に至るまでを横断的に論じる本書は、戦争を単なる事象ではなく、構造として捉える視点を読者に提示する。

死が経済に組み込まれるとき

 本書を読み進めるうえで、最初に強い衝撃を受けるのは、第3章で提示される「死の経済」という概念である。戦争における死は、通常、倫理や悲惨さの文脈で語られる。しかし著者はそれを、冷徹な数値と制度の問題として描き出す。

30歳のロシア人男性が契約軍人として1年間戦い、命を落とした場合に得られる報酬は…同じ人物が60歳まで働いて得られる収入を上回るという。(第3章)

 この記述が示すのは、戦争が単なる非常事態ではなく、一定の合理性のもとに維持されうる構造を持つという事実である。補償金や入隊インセンティブの設計は、国家が戦争を継続するための装置として機能している。さらに、戦死者の多い地域で銀行預金が増加するという現象は、戦争が地域経済にすら影響を与えることを示唆している。

 ここで重要なのは、戦争が倫理的に正しいか否かではなく、いかにして成立し、持続してしまうのかという厳然たる仕組みである。本書は、死をめぐる感情的な理解をいったん退け、制度と経済の観点から戦争を捉え直す。その視点の転換こそが、本書の特異点といえる。

戦争はどこまで広がっているのか

 戦争は決して戦場の中だけで完結するものではない。本書が繰り返し示すのは、戦争が国際的なネットワークの中で維持されているという現実である。

意図せざる結果であるとはいえ、日本製工作機械が現在もロシアのウクライナ侵略を支えているということは事実として認識しておかねばなるまい。(第4章)

 この一文は、読者を安全な観察者の立場から引き離す。戦争は「どこか遠くのできごと」ではなく、供給網や貿易関係を通じて、私たちの日本社会とも接続されている。さらに、ロシアが完全に孤立しているわけではないという指摘は、善悪の単純な対立図式を揺さぶる。北朝鮮ですら多数の国と関係を持つ現実は、国際秩序が単純でないことを示している。

 ここで浮かび上がるのは、戦争が二国間ではなく、むしろグローバルな相互依存の中で成立しているという認識である。本書は、戦争を一国の問題としてではなく、複雑に絡み合う関係の結節点として描き出す。その視点は、現代の戦争を理解するうえで不可欠である。

リアリズムと規範のあいだで

 本書の終盤で提示されるのは、より根源的な問いである。それは、現実を直視したうえで、どのような立場を取るのかという問題である。

『彼らのリアリズム』は、『我々にとってのリアリズム』ではない。(第5章)

 この言葉は、単なる国際政治の分析を超え、読者自身の判断を促す。戦争は合理性によって運営され、国際関係の中で持続している。しかし、その現実をそのまま受け入れることが、果たして私たち日本人の立場として正しいのか。本書は、その問いを宙に浮かせたままにしない。

 さらに著者は、「戦争は何の落ち度もない国家・社会・個人にも降りかかってくる」と述べ、戦争の不可避性を示唆する。同時に、「国家一般は多かれ少なかれ暴力性を孕んでいる」と指摘し、日本国憲法の理念へとつなげる。sれにより、本書は単なる戦争分析にとどまらず、規範と現実の緊張関係を読者に問いかける。

 戦争を「遠いできごと」として情報消費するのではなく、自らの社会と連続する問題として捉え直すこと。その思考の転換こそが、本書の重要な意義だろう。

 本書は、戦争の悲惨さを描くことを目的としていない。むしろ、戦争がいかにして成立し、持続してしまうのかという構造を明らかにする。その冷徹な現実の中で、私たちはどのように考え、どのようにふるまうべきなのか。

 重い問いである。

小泉悠『現代戦争論』

書名/現代戦争論―ロシア・ウクライナから考える世界の行方(ちくま新書)
著者/小泉悠
出版社/筑摩書房
発行/2026年2月9日

本と文化戦争,書評

Posted by Asanao