朝が少し早くなる頃に―立夏の頃の暮らし方

 ゴールデンウィークが終わる頃になると、朝の明るさが急に変わる。カーテン越しの光で目が覚め、「寝過ごしたか」と時計を見ると、まだ五時を少し回ったばかり。春分の頃には、同じ時間でも部屋の中はまだ薄暗く、机に向かうには照明が必要だった。それが今では、窓の外の光だけで十分に本が読める。

 暦の上では、この頃が「立夏」である。二十四節気のひとつで、例年5月5日頃にあたり、この日から夏が始まるとされる。もっとも、体感としては、まだ春の延長にいる。朝晩は少し肌寒く、上着も完全には手放せない。にもかかわらず、太陽だけは人間の感覚よりひと足早く、着実に次の季節へ進んでいる。

 立夏とは、暑くなる季節というより、時間の流れそのものが少し前倒しになる節目なのかもしれない。

朝の光が、生活のリズムを少しずつ変える

 平日は、朝六時から二時間ほど大学の勉強をする。動画講義を見たり、参考文献を読んだり、レポートの下書きを進めたり。早稲田大学の通信教育過程に入学してから、すっかり定着した習慣だ。

 冬の間、この時間はまだ夜の延長だった。暖房を入れ、部屋の灯りをつけ、身体を起こすところから一日が始まる。しかし立夏の頃になると、その風景が少し変わる。机に向かう頃には、庭の芝生にもすでに光が差し、鳥の声が聞こえ、窓を少し開けるだけで朝の空気が部屋に流れ込んでくる。

 こちらは何も変えていないつもりなのに、朝そのものが少しずつ前へ進んでいる。

 仕事でも大学でも、私たちは時計に合わせて一日を組み立てている。しかし、実際の暮らしを動かしているのは、案外、時計よりも先に明るくなる太陽のほうなのかもしれない。

 人間の予定より、太陽の方が早い。

 立夏になると、その当たり前の事実を、毎年あらためて思い出す。

タケノコは、実は春ではなく夏の季語だった

 この時期になると、食卓でも季節の移ろいを感じる。スーパーの野菜売り場に並んでいたタケノコの姿が、少しずつ少なくなってくる。

 私は長いこと、タケノコは春の食べ物だと思っていた。実際、私たちがよく目にする孟宗竹のタケノコは、三月から四月にかけて旬を迎える。桜や菜の花と同じように、春の味覚という印象が強い。

 ところが、俳句や歳時記の世界では、「筍」は春ではなく夏の季語なのだという。最初に知ったときは少し意外だったが、理由を知ると納得する。孟宗竹のあとには、真竹や淡竹が五月から六月にかけて芽を出す。そして旧暦では、立夏からすでに夏が始まっている。

 食卓の感覚では、まだ春の名残がある。しかし、暦も、竹も、太陽も、もう次の季節へ向かっている。

 朝五時台の光が少しずつ強くなっていくことも、タケノコが夏の季語であることも、同じことを教えてくれているのかもしれない。

 人間が気づくより少し早く、季節は静かに先へ進んでいる。立夏とは、その小さな時間のずれに、ふと気づく頃なのである。

タケノコ
Image by May_hokkaido from Pixabay

立夏の頃にやってみたい小さなこと

  • 朝晩の寒暖差に備えつつ、麻や薄手の綿など風が通る素材へ少しずつ切り替える
  • 日差しが強くなる前に、帽子やサングラスなど初夏の外歩きの準備を始める
  • 冬物や厚手の上着をしまい、よく着る服だけが取り出しやすい状態に整える

  • 旬を迎えるタケノコや新じゃが、新玉ねぎなど、みずみずしい初夏の味を取り入れる
  • 朝食に味噌汁やスープを一品加え、早く始まる一日に身体をゆっくり目覚めさせる
  • 冷たい飲み物に頼りすぎず、常温の水や温かいお茶で身体のリズムを整える

  • 朝の光が入る時間に合わせてカーテンを開け、一日の始まりを自然光に委ねてみる
  • 窓辺やベランダ、庭先の植物に目を向け、春から初夏へ移る葉の色の変化を楽しむ
  • 扇風機や網戸など、夏に向けた道具をひとつずつ点検し、早めの準備を始める

暮らし二十四節気

Posted by Asanao