感想/川西蘭『ラブ・ソングが聴こえる部屋』

川西蘭『ラブ・ソングが聴こえる部屋』

ラブ・ソングが聴こえる部屋
著者/川西蘭

発行/集英社

1986年12月初版。四つの恋愛小説からなる短編集。1980年代半ばの恋愛風景は、今、読み返すと、なんて叙情的なのでしょうか。たとえば「マイ・シュガー・ベイブ」。メールと携帯電話の代わりのコミュニケーションツールは、AMラジオとタイプライターです。

以下、素敵なプロポーズシーンを抜粋。

 彼女は眼鏡のレンズをセーターでこすってから、かけて、またタイプを打ち始めた。
「話はまだ終わってないんだ」
「何?」
「結婚しよう」とぼくは言った。
 タイプを打つ音が止まった。彼女は二本の人差し指を曲げたまま凍りついてしまったみたいだった。
 しばらく、五分ほど空白の時間が流れた。風にのって、波が砂浜に打ち寄せる音が聞こえた。
 彼女はまたタイプを打ち始めた。速度が落ちて、一行も打ち終わらないのに二度もスペルを間違えた。
「返事は?」とぼくは訊いた。
 彼女は大きく深呼吸をした。新しい用紙に取り換え、そして、タイプライターのキーを三度叩いた。真白い紙の一番上にYESと鮮明に記された。


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