庄内旅行- 奥の細道、芭蕉が通った吹浦から三崎へ

2023年4月15日

昨日までの終日鉄道移動と一転して、この日はレンタカーを借りた。目的地は秋田県の象潟。

小学生の頃、両親に買ってもらった、日本列島の珍しい地形、風物を紹介した図鑑が大好きで(書名を忘れてしまった)、その中でカルスト地形の秋吉台やカルデラ湖の洞爺湖、天橋立などと共に、象潟が紹介されていたのだ。なお、その本には山形県の即身仏についても書かれていた。

今回の旅、小学生の頃の憧れの地である象潟、即身仏のあるお寺を訪ねることが目的の一つだ。

せっかく鉄道乗り放題のフリーきっぷがあるので、朝一番の普通列車で象潟に向かうことも考えたが、昨夜、行きは海岸線沿いに象潟まで出かけて、帰りは鳥海山をドライブして吹浦に降りてくるルートを発見。結局、朝一番、レンタカー屋の開店時間8時に合わせてホテルをチェックアウトして、12時間、小型のホンダ・フィットを借りることにした。

酒田を出て羽州浜街道を北上。まず、吹浦の手前にある庄内砂丘に立ち寄った。ここは、最近読んだ森敦の『鳥海山』の「鴎」という短編小説の中で、東京から訪ねてきた友人を連れて、妻と三人で吹浦から砂丘付近を歩くシーンが印象に残っている。

「砂丘を越えて、海岸で流木を拾いましょう。ながく風浪にさらされて骨髄だけになっているような流木は固くても火もちがいいんですよ」
「驚いたな。Sさん、どうしてそんなこと知ってるんです?」
「いや、戦争のとき、しょっちゅう拾っていましたからね。あのころは、明日の命も知れなかったし、拾いながらも、死ということをいつも考えたいたのです。(略)

砂丘に転がっている骨髄のような流木に座って、小説「鴎」の一シーンを思い浮かべた。麦わら帽の明朗な妻と友人、三人で吹浦付近を歩くシーンは、1960年代の青春映画の一コマのようで、私は大好きだ。

砂丘を後にして、小さな吹浦の町を横切り、十六羅漢岩のある秋田県との県境、三崎峠方面へクルマで向かった。

広々とした砂丘がいきなり終わり、吹浦から北は岸壁の上を道が続く。

十六羅漢岩見学用の駐車場にクルマを停めて磯を降りる。岩に掘った羅漢様が並んでいた。遊佐町のホームページを見ると、下のように紹介されている。

吹浦海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、1864年に造佛を発願し、地元の石工たちを指揮、5年の年月をかけて明治元年22体の磨崖仏を完工しました。

16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体。これだけの規模で岩礁に刻まれているのは日本海側ではここだけといわれ、歴史的にも貴重な資源です。

改めて見渡すと、確かに大きな造形物だ。日本海の荒波に洗われた羅漢像は、独特の厳しさを醸し出している。

十六羅漢像を後に遊歩道を歩くと、今度は芭蕉の句碑があった。『あつみ山や吹浦かけて夕すずみ』。海原を見ながら、芭蕉は涼んだのだろうか。

また、芭蕉の句碑から磯を見下ろすと、伊勢の二見浦にそっくり、二つの岩にしめ縄を張った「出羽二見」がある。この付近の漁師が海上の安全を祈願して、しめ縄をつけたものらしい。

十六羅漢像から、さらにクルマで北上して三崎峠へ。ここいらは山形県と秋田県の県境だ。三崎公園として整備されていて、芭蕉が歩いた当時の旧街道が保存されている。クルマを停めて、旧街道を歩いてみた。

クスノキ科の常緑高木、タブが鬱蒼と繁る林の中に古道が通る。蜘蛛の巣をかき分けながら進むと、オレンジ色のヤマユリ(オニユリ?)が道沿いに咲き誇り、夏のハイキングらしい風情を味わえた。なお、松尾芭蕉に随伴した河合曾良は、ここいらを「是より先は馬も通れぬ難所」と記している。

遊佐町の観光案内板には以下のように記されていた。

松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、今に残る三崎の古道を門人曽良と越えたのは、1689年(元禄2年)6月16日、かねて心にかけていた象潟を訪ねるため、前日酒田を出立したものの激しい雨に逢い、やむなく吹浦に一泊し、当日も雨であったが、芭蕉は象潟への期待から雨にもめげず、むかし有耶無耶の関があったというこの難所を越えて行ったのである。タブの木など生い茂るひるなお暗いこの細道を、病弱の身ながら一歩一歩踏みしめて行った様子が今も眼前に浮かぶようである。

林をいくと木造の「大師堂」に行き着いた。ここは、1200年前に慈覚大師円仁が草庵を結んだとされる場所。周囲には無数の五輪塔が建てられている。ちょっとコワい雰囲気だ。

9世紀のはじめ、大和朝廷は「柵」というを要塞を拠点に東北進出を行っており、このあたりは先住民であった蝦夷(えみし)との間の境界だった。蝦夷の侵入を防ぐため「有耶無耶の関(うやむやのせき)」という関所が三崎付近にあったらしいが、その場所は定かではない。

ただ、かつてヤマトの北限がこのあたりであったことを思いつつ、秋田県へと入った。


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