日本の庭になぜ芝生は広まったのか―西洋文化と郊外生活がつくった風景

 私が育った実家の庭には、苔むした灯籠があり、水をたたえた手水鉢があった。縁側から眺めるその庭は、どこか湿り気を帯び、静けさが沈んでいるような風景だった。一方、いま我が家のリビングに面した庭には高麗芝が広がっている。風がよく通り、日差しを受けた芝はさらりとしていて、実家の庭とは対照的に乾いた印象を与える。

 同じ「庭」でありながら、この違いはどこから来るのだろうか。なぜ、日本の庭に芝生は広まったのか。少し気になって、日本の庭と芝生の歴史を少しさかのぼってみた。

古来、日本では芝よりも苔が主役だった

 日本の庭といえば、まず思い浮かぶのは苔や石、砂利、そして四季折々の植栽である。実際、江戸時代までの日本庭園において、芝生は主役ではなかった。むしろ地表を覆うものとしては、苔の方が圧倒的に好まれていた。京都の寺院庭園に見られるように、湿潤な気候のもとで自然に広がる苔は、静けさや時間の蓄積を象徴する存在であり、日本的な美意識と深く結びついている。

 また、日本の庭は「鑑賞する庭」であった。書院から眺める庭、あるいは限られた動線で歩く回遊式庭園においては、芝生のような広い平面は必ずしも必要ではなかった。むしろ、空間に変化を与える石組や築山、水の流れの方が重要であったのである。

 つまり、日本においては長く、芝生という存在自体が「庭の必須要素ではなかった」。ここにまず、現在の芝生の庭との大きな断絶がある。

苔むした山水

西洋庭園としての芝生の導入

 この状況が変化するのは明治時代である。近代国家として西洋化を進める中で、建築や都市計画とともに庭園の様式もまた輸入された。その中核にあったのが、芝生を広く使う西洋式庭園である。

 東京の新宿御苑や旧古河庭園などは、その代表的な例だ。これらの庭園では、イギリス風景式庭園の影響を受けた、なだらかに広がる芝生が設けられ、建物との一体的な景観がつくられている。

 ただし、この段階で芝生はあくまで「特権的な空間」に属していた。維持には手間とコストがかかり、芝刈りや管理の技術も限られていたため、一般の住宅に広まることはなかったのである。

 一方で、この時期からゴルフ場の建設が進み、芝の管理技術が国内に蓄積されていく。こうした技術的基盤が、のちに芝生が身近な存在になるための下地となった。

郊外生活が生んだ芝生の庭

 芝生が一般家庭に広まるのは、戦後の高度経済成長期である。都市部から郊外へと住宅地が拡大し、庭付き一戸建てが増加したことが大きな契機となった。

 この時代、芝生は単なる植物ではなく、「豊かな生活」の象徴として受け入れられた。公園や学校にも芝生が導入され、均質で整えられた緑の風景が日常の中に入り込んでいく。さらにホームセンターや園芸雑誌の普及によって、芝生の手入れは専門家だけのものではなく、家庭の中の営みとして位置づけられるようになった。

 ただし、日本の芝生文化は欧米とは異なる特徴を持っている。第一に、面積が小さい。広大な芝生を前提とする欧米に対し、日本では限られた庭の中に芝生が配置される。第二に、用途よりも景観が重視される点である。芝生の上で過ごすというよりも、整えられた緑を眺める対象として扱われることが多い。

 そしてもう一つ、日本の芝生は季節とともに表情を変える。冬には茶色く枯れ、春に再び芽吹く。その変化を含めて受け入れる感覚は、むしろ日本的な自然観に近いともいえるだろう。

10月の我が家の芝生

 実家の湿り気を帯びた庭と、いま目の前に広がる乾いた芝の庭。その違いは、単なる好みの問題ではなく、時代と文化の変化がつくり出したものだ。

 芝生の庭はもともと日本にあったものではない。しかし、西洋文化として導入され、技術と生活様式の変化の中で定着し、やがて私たちの日常の風景となった。その緑の広がりは、私たちがどのような暮らしを選び、どのような風景を「心地よい」と感じるようになったのかを、映し出しているのである。

庭と自然芝生

Posted by Asanao