《赤倉の学堂》にみる記憶の再現性と仮構性—芸術による地域アイデンティティの構築

《赤倉の学堂》2018年は校庭の端に設置されていた

はじめに

 地方において開催される芸術祭では、東京の都心では実現できない空間資源を有効活用する取り組みが多く見られる。特に、人口減少や統廃合により廃校となった小学校が、芸術作品の展示会場として活用されている。教室や体育館といった汎用的な構造を生かし、「かつてそこに存在した人々の記憶」や「時間の蓄積」を主題としたインスタレーション作品が展開されることが多い。

 たとえば、クリスチャン・ボルタンスキーの《最後の教室》(2006・新潟県十日町市)は、廃校の空間そのものを「不在の記憶」として再構成し、鑑賞者に強い印象を与える作品である。こうした作品は、芸術が空間に宿る記憶を媒介し、過去と向き合う契機を提供するという意義を持つ。

 本稿では、廃校空間が地域住民にとってどのような意味を持ち、なぜ芸術活動の場として選ばれやすいのかを検討したうえで、ナウィン・ラワンチャイクンの《赤倉の学堂》(2015・2022・2024)に焦点を当て、作品と地域との関係性を分析する。特に、美術作家と地域住民の共生の在り方、住民にとっての小学校の記憶がいかに芸術を通じて再活性化されるのかに注目したい。

 なお、「記憶の仮構性」とは、記憶が単なる過去の再現ではなく、現在の視点や社会的・文化的な背景の中で再構成される性質を持つことを意味する。記憶とは出来事そのものではなく、立場や時代背景に応じて編み直される「構築された過去」であるという視点が重要である。

なぜ地方の芸術祭で廃校が利活用されるのか

 廃校が利活用される理由として、まず施設の構造的特徴と空間的な柔軟性が挙げられる。教室や体育館は展示空間として活用しやすく、大規模改修を必要としない場合が多い。また、廃校は地域に点在しているため、広域型の芸術祭に適している。『大地の芸術祭』(新潟県十日町市)や『奥能登芸術祭』(石川県珠洲市)では、集落ごとの廃校が展示拠点となっており、地域全体を回遊させる仕組みが構築されている。

 加えて、行政との連携や費用負担の軽減の観点でも、既存の公共施設である廃校の活用は合理的である。地元住民の理解と協力が得られやすい点も重要であり、作品づくりへの参加や受け入れ体制の形成にも好影響を及ぼしている。柄田(2006)は、「従来、廃校の転用には大きな壁があったが、内閣府の地域再生計画に位置付けられることで、規制が緩和された」と指摘している。こうした制度が整備されたことにより、廃校の芸術利用が現実的かつ持続可能な選択肢となった。

《赤倉の学堂》2022年には体育館の中で展示

地域住民の「記憶の器」としての小学校

 小学校は、地域住民にとって幼少期の大切な記憶を共有する場であると同時に、世代を超えて蓄積される集合的記憶の拠点でもある。特に地方では、多くの住民が同じ校舎で学んでおり、卒業生・保護者・教職員など立場を超えた記憶が紡ぎ合っている。

 権(2016)は「学校は卒業生や地域の『記憶が集合』した場所であり、良い記憶/悪い記憶・辛い記憶を含めて普遍化された場でもある」と述べている。廃校は単なる物理的空間の喪失だけではなく、共有された記憶の拠点をどう継承・再編していくかという文化的課題を持つ。たとえば、地域住民が世代を超えて校歌を口ずさめることは、記憶の連続性を象徴している。廃校を芸術の場として再生することには、そうした記憶の器を地域の内外に開く文化的意義がある。また、芸術による再生は、地域の誇りや帰属意識の再構築にも寄与する点が見逃せない。

旧赤倉小学校の校舎の全景

《赤倉の学堂》が過疎の集落に果たす役割

 《赤倉の学堂》は、新潟県十日町市の赤倉集落※にある旧赤倉小学校を舞台にした作品である。集落は2015年時点で人口約40人、平均年齢65歳超の過疎地域であり、地域の持続可能性が喫緊の課題となっている。タイ出身のナウィン・ラワンチャイクンは、かつて地域の中心的存在であった小学校の空間的・象徴的価値に着目し、ラファエロの代表作《アテネの学堂》を着想源として、赤倉で暮らした多世代の住民を描いた群像絵画を制作した。絵画は「赤倉」の地名と呼応するように赤を基調とした色調で統一されており、集落固有のアイデンティティを反映している。

 2015年、ラワンチャイクンは『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』に参加するため現地に滞在し、住民と交流を重ねるなかで本作品を構想・制作した。制作過程において住民が自身の記憶や写真を提供し、絵画の中に取り込まれている。これにより、地域と作家との共生関係が築かれ、作品は集落に新たな意味を与える媒介装置となった。さらに、2022年には作家の出身地であるタイ・チェンマイで新たに対となる絵画が制作され、2024年には旧赤倉小学校の体育館で両作品が並べて展示された。ここに地域と世界、過去と現在が交差する象徴的な空間が生まれた。同じ廃校という舞台を用いながら「不在」を強調したボルタンスキーの《最後の教室》とは対照的に、ラワンチャイクンの表現は「共生」や「継続性」を指向している点が興味深い。

まとめ

 本稿では、廃校の芸術利用が単なる空間活用にとどまらず、地域住民の記憶と結びついた文化的・社会的な再構築の場となることを検討した。廃校は記憶の器としての性格と展示空間としての機能性を併せ持ち、芸術による「記憶の再構築」と「空間の再編成」が可能となる場所である。

 《赤倉の学堂》は、地域と深く交差する芸術実践の好例であり、記憶の継承と地域アイデンティティの再確認を促す場となっている。今後も記憶と空間に根ざした芸術作品が、地域社会の可能性を拓くものとして注目されるべきであろう。

※ 集落名は赤倉であるが住所は「戌(いぬ)」である。十日町市には別の場所に「松之山赤倉」という住所がある。

参考文献

  • 柄田明美(2006)「芸術文化による廃校の活用を考える――地域・都市の交流・再生拠点の形成を目指して」『ニッセイ基礎研 REPORT』2006.1,p.1–6.
  • 権安理(2016)「廃校の可能性と芸術の公共性─アートスペースとしての廃校活用─」『立教大学コミュニティ福祉学部紀要』第18号, p.41–55.
  • 北川フラム「《赤倉の学堂》 立ち上がる集落の時空間」(四国新聞「瀬戸内物語」第56回) https://www.shikoku-np.co.jp/feature/kitagawa_column/56.htm ※2025年7月30日閲覧
  • ナウィン・ラワンチャイクン(2024)『赤倉の学堂』現代企画室.
  • 北川フラム・大地の芸術祭実行委員会(監修)(2024)『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024 公式ガイドブック』現代企画室.

※本稿は早稲田大学 人間科学部「現代芸術論」で提出した期末レポート課題の提出物をもとにしている。

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Posted by Asanao