感想/サリンジャーの小説『フラニーとズーイ』

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サリンジャー著、村上春樹訳『フラニーとズーイ』村上春樹の小説、エッセイはほとんどを読んでいるけれど、今まで翻訳は読んだことがなかった。J.D.サリンジャーの『フラニーとズーイ』を初めて手に取った。先日読んだ『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』の中で、作家・サリンジャーについて書かれた箇所が数多くあって、読んでみたくなった。

感想/村上春樹インタビュー集1997-2011(2015/7/15)

サリンジャーの代表作『ライ麦畑でつかまえて』は、いまだ読んでいない。英文学は翻訳であっても、大学1年の語学の授業で苦戦して以来、苦手意識を持ってしまった。ただ、村上春樹が神戸に住んでいた頃、中古のペイパーバックの英文学を漁るように読んだということをインタビューで述べていて、羨ましく思った。今からでも原文で読むことに挑戦したい気持ちはある。

さて、『フラニーとズーイ』。「ややこしい議論ばかりの小説」というのが正直な感想。ここは訳者の村上春樹も、付録のあとがきの中で「議論小説」と説明している。また、彼自身、最初に読んだときの印象として、「『キャッチャー』よりは複雑な、いささか捉えがたい話だった」と述べている。どうやら、サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』から入るのがよかったのかもしれない。

ただ、収穫としては、1950年代のアメリカで、インド仏教や禅といった東洋哲学が、アッパーミドルの人たちに浸透していたこと。当時のアメリカは繁栄の中にあり、カウンターカルチャーが現れるのはもう少し後の60年代に入ってからだと思っていた。

経済的な繁栄の影にあって、60年代に噴出する社会や大学のあり方に対する懐疑は、アッパーミドルクラスの若者の間で芽吹いていたのかな……そんな感想を持った。