庄内旅行- 藩校「致道館」と藤沢周平記念館へ

2023年4月15日

朝からレンタカーを借りて、鶴岡市内にある本明寺、大日坊瀧水寺、注連寺、南岳寺、4つのお寺にある即身仏を拝観した。

鶴岡の即身仏を巡礼-本明寺と大日坊
注連寺、森敦の小説『月山』の舞台に参拝
鶴岡の即身仏を巡礼-南岳寺

南岳寺の拝観を終えたのが15時すぎ。夕食までまだまだ時間があるので、市内中心部、庄内藩の藩庁・鶴ヶ岡城周辺を散歩することにした。

庄内藩校・致道館

まず、庄内藩の藩校「致道館」へ。藩校は江戸時代、諸藩が藩士の子弟教育のために設立した学校で、会津藩の日新館、水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館などが有名どころ。今でも史跡として残っている藩校も多く、また藩校からの流れを持つ高校、大学もある。

戊辰戦争時の展示に惹かれた藩校「致道館」

致道館は東北地方に残る唯一の藩校の建築。1805年に庄内藩七代目藩主・酒井忠徳によって創設。当時は別の場所にあったが、八代目藩主の酒井忠器により、鶴ヶ岡城内に移された。現在は城跡公園の対面にあり、市役所と道を挟んで向かい合っている。

凛とした雰囲気の校内に足を踏み入れると、まず右手に孔子を祀る聖廟があった。私は中国に留学していた経験上、いつもながら「文」の孔子を「武」の武士たちが尊ぶのは、理屈としては分かっても、私の中でしっくりしないところがある(ちなみに、「武」の関羽が、「商」の神様として関帝廟に祀られるのも、どうもしっくりしない)。往時の祭器が展示されており、興味深かった。

庄内藩校・致道館

その後、靴を脱いで教室であった講堂へ上がった。

さまざまな展示の中でも興味深かったのが、戊辰戦争時の軍事掛・菅実秀(すげ・さねひで)と西郷隆盛の交流の説明だった。庄内藩は会津藩と共に、戊辰戦争で藩内に一兵も入れない程、果敢な戦いを新政府軍と繰り広げる。だが、降伏は免れず、このとき庄内藩を代表して新政府と交渉にあたったのが菅実秀という人物らしい。

降伏後、会津・庄内両藩への処置は大きな違いがあり、会津藩の23万石から3万石への減封に対し、庄内藩は17万石から12万石に減じられただけだった。また、酒田の豪商・本間家を中心に藩上士・商人・地主ら新政府に30万両の献金を行い、降伏後、転封を余儀なくされた酒井家は庄内藩主に復帰することができた。これらは西郷隆盛の意向が働いており、以来、庄内の人々は西郷を敬うようになったという。藩主・酒井忠篤らは、戦後、鹿児島を訪ね、寝食を共にして西郷に教えを乞うたらしい。

会津藩士と庄内藩士、どうしてここまで境遇が違ったのだろうか。大学時代近代史専攻の私としては、じっくり調べてみたいテーマだ。

「藤沢周平記念館」で作品の原風景を知る

藤沢周平記念館

致道館を後にして、鶴岡公園内にある「鶴岡市立藤沢周平記念館」へ向かった。藤沢周平の小説は一冊だけ読んだことがある。晩年の短篇集『静かな木』。人間関係の苦味と機微、時代を超えて共感できる作品だった。

このミュージアムで今さらながら知ったのは、作品に出てくる海坂藩とその町は、庄内藩と城下町・鶴岡がモチーフとなっていること。そう考えると、作品の中の川、辻、町並み、農村の光景が、この一週間の庄内平野での滞在により、頭の中に立体的に浮かぶようになった。

それから「三方領地替え」をテーマにした小説『義民が駆ける』に興味を持った。「三方領地替え」は、私の住む川越藩と庄内藩、今回の旅でたまたま立ち寄った長岡藩をめぐる出来事だ。以下、Wikipediaより。

天保11年(1840年)8代・忠器の時に藩に危機が訪れる。

財政が好転し、また実収が20万石ともそれ以上ともいわれる庄内に目をつけたのが武蔵川越藩主・松平斉典である。当時川越松平家は度重なる転封で莫大な借財を抱え、また水害等で藩領内が荒廃し財政が逼迫していた。そこで、内実の豊かな庄内への転封を目論んだわけだが、斉典は11代将軍家斉の第二十一子紀五郎(のちの斉省)を養子に迎え、養子縁組のいわば引き出物として、当時、大御所となっていた家斉に庄内転封を所望した。このため、松平を川越から庄内へ、庄内の酒井を越後長岡へ、長岡藩の牧野忠雅を川越へという「三方領地替え」という計画が持ち上がった。

これに対し、天保12年1月20日(1841年2月11日)庄内藩の領民は江戸へ出向き幕府に領地替え取り下げを直訴した。この行動は本来ならば死罪である。また従来、領民の直訴といえば藩政の非を訴えるものであるが、領民による藩主擁護の行動は前代未聞であり、逆に幕府役人より賞賛された。同年7月12日(8月28日)家斉・斉省の死去も伴い幕命は撤回となった。

この三方領地替えの撤回は、後に印旛沼堀割工事の際に、懲罰的な御手伝普請を庄内藩が強いられる遠因となった。

17時の閉館時間まで30分強の短い見学だったが、強烈な読書意欲を掻き立てられたミュージアムだった。

鶴ヶ岡城址「鶴岡公園」を散策

夕食にはまだ早いので鶴岡公園内にある、荘内神社に参拝。廃藩置県後に本丸址に建てられた、4人の酒井家藩主を祭神としている。「三方領地替え」の直訴といい、藩主を祭神とする神社といい、身分を超えた江戸時代のこの地の人々の一体感に思いを馳せた。

鶴岡・荘内神社

参拝後、ベンチに座りのんびりとしたかったが、公園内は蚊が多い。仕方なく堀沿いをゆっくりと歩いて一周。空気は秋の気配が漂っている。

鶴岡公園

大寶館という大正時代に建てられたレトロな資料館があり、興味をそそられたが、ちらっとのぞくだけにとどめた。

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