職業音楽家としてのJ.S.バッハ

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J.S.バッハヨハン・セバスティアン・バッハのゴールトベルク変奏曲は、グレン・グールドの名演により、数ある彼の楽曲の中でもポピュラーな存在です。ベートーヴェンのディアベリ変奏曲と並び、ピアノ変奏曲というジャンルにおいて「二つの巨塔」といわれています。

この作品、今でこそ不滅の芸術作品として、多くのピアニストがいつかは挑戦を!と思いを募らせる難曲ですが、もともと芸術作品として生まれたものではなかったそうです。その昔、ドイツのカイザーリンクという伯爵が、不眠症の癒しのため、ゴールトベルクというお抱えのクラヴィーア奏者に演奏させるべく、バッハに作らせたという逸話があります。ヒーリングミュージックの走りですね。

18世紀、バッハの時代、音楽家は芸術家というよりも、宮廷や教会に所属する職人に近い存在でした。バッハは、「眠れない夜の気分を紛らわすことができる、穏やかで、幾分陽気な音楽を作ってほしい」というクライアントの要望に応えて、1つのアリアをテーマに30のバリエーションからなる変奏曲を作曲しました。通常のテンポで演奏して1時間以上かかる長大な変奏曲ですが、私など、この曲を聴き始めると眠れなくなるほど面白く感じます。

さて、私の尊敬するイラストレーター、秋山孝先生は、美術作家とイラストレーターの違いについて、「イラストレーターに重要なのは量とスピードだ」とおしゃっています。バッハは芸術家ではなく職業音楽家でした。美術作家ではなくイラストレーターに近い存在でした。彼の膨大な量の作品の多くは、クライアントありきのものでした。教会に所属する「サラリーマン音楽家」だったので、礼拝のためのミサ曲をコンスタントに作り続けるのが仕事。ですので、駄作と呼ばれる作品が生まれるのもいたし方ありません。

しかしながら、彼は毎日のルーティンワークの中でクライアントの要望に応えつつも、作品にさまざまな工夫を施し、実験的な試みを行い続けました。その姿勢に私は共感します。彼は天才というよりも、類まれなる「工夫家」であったと思います。

バッハは生前、職業オルガニストとしては当代一流でしたが、作曲家としては今ひとつ見栄えのしない存在でした。彼の作品に光が当たるのは、死後100年すぎて後、メンデルスゾーンやシューマンら、後世の音楽家の発掘によるものです。

2006年、今年も私は、たくさんの編集タイアップ広告を作ると思います。右から左へせっせと制作して、クライアントに納品することもできるのですが、ちょっとはバッハを見習って、後世に残る工夫と実験を、と思う元日でした。

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